“賀川学園”(自閉症児専門の保育園)は、多摩療育園のY医師の紹介。
熊川保育園 ”では、健太郎、専有の保育士さんを、1人つけてもらい、1つ下の年少に入った。
年長さん時は、年長さんに入った。
熊川保育園へは、絵本を持って行かないと安定せず、毎日、持って行っていた。
絵本には、その時の流行みたいなものがあった。
熊川保育園の保育士さんには、毎日、その絵本の絵を紙に書いていただいていた。
その保育士さん達は、“健常児と分け隔てなく!、優しく!、丁寧!”に健太郎を保育してくれた。
この保育士さん達には、本当に、お世話になりました。“感謝!感謝!”である。(父親)
 熊川保育園でのお遊戯は、練習時は、他の子供達が、やっている姿を保育士さんと見ているだけであったらしい。
ところが、本番になると、健太郎は、お遊戯できたのです!父親も、保育士さんも大変喜んだ記憶がある。
 熊川保育園の“運動会”では、リレーのバトンを渡すと言う事が、出来ずリレーは、不参加だった。

2005年3月17日(健太郎;6歳)、諸事情により、両親離婚。親権は、父親。


 ◎“離婚”によって、父親は、日常生活が、大きく変わった。引越しから始まり、役所関係の変更手続き(住民票、年金関係、愛の手帳、特別児童扶養手当、精神保健法32条、ぜん息の申請等)、毎日の保育園の連絡帳記入、保育園の着替えの管理、小学校入学にあったての段取り(学童あり)等。父親は、子育てに迷う。自閉症児関係の講演を出来る限り聞きに行ったりもした。

 熊川保育園の“卒園式”では、保育士さんが、健太郎の隣で、いつものように絵本の絵を書きながら、進行して行った。一人一人、名前を呼ばれ、将来のことについて、発表する進行であった。健太郎は、“そんなことできないだろうな〜”と父親は、思っていた。ところが、健太郎の番になると、“大きくなったらパン屋さんになりたいです!”と誰の力も借りず言えたのです。父親は、感動して涙した。父親は、健太郎にとって、熊川保育園の環境は、本当にベストであったと思っている。小学校3年生になった今でも、健太郎の成長を見守ってくれています。


 今から思い起こすと、乳児期、おっぱいへのこだわりが、2歳まで続き、離乳するのに思考錯誤。からしを塗ってみたり等。最終的には、おっぱいに怖い目をマジックで書いて離乳。(その際、健太郎は、それを見て泣き叫んでいた。)


 また、父親の転勤で、宮城県多賀城市にいた頃、健太郎があまりにも泣き叫ぶので、近所の人に虐待しているのではないかと通報され、児童相談所の人が1人、保健婦さんが1人、宮城県多賀城市市役所職員1人、計3人が数時間後に自宅に来たこともあった。(平成13年7月頃)その時の健太郎の状況は、外に遊び(散歩)に出かけ、雨が降った翌日で、水たまりにはまってしまい、ずっとピシャピシャして遊んでいた。そのため、服がビショビッショになったので気になり“家に帰ろう”と促すとパニック!。マンションの玄関先で“家に入るの!”“入らないの!”と押し問答。健太郎は、余計に泣き叫び(大パニック)通報されたと言う訳である。(当時、健太郎が自閉症であると診断されていれば、このようなことは(通報されるようなこと)、無かったと思われる。)


 今から思い起こすと、3歳(2002年8月14日)初めての海、友人夫婦2人と父親たち夫婦と健太郎とで多々戸海水浴場へ行った時(健太郎は、水が好きで海水浴は、大変喜んでいた。)、帰り道、夕食をかねて温泉に行った。夜8時ごろだったと記憶するが、温泉に入るや否や大パニック、大泣き、仕方なく温泉を出たが、泣き止まず、温泉の入口で嘔吐。当時は、父親が、温泉に入った時、“あちち”と健太郎を抱きながら、言ってしまったからだと思っていた。平常に戻ったのは、皆より先に温泉を出て、車の中で皆を待ちながら、カラオケ絵本を見てからだった。(今から思えば、昼間海でたくさん遊んでの疲れ、夜遅い時間、見通しのつかない温泉、父親が、いきなり“あちち”と言った事等で耐えられなかったのだろうと思う。)


 スーパーに行くと、食品売り場にちょっとしたおもちゃ売り場がある。買わないとパニック。(“ピーして!、ピーして!”;レジでピーとしないと買えないと教えていた。)

 
 病院(上代継診療所 )の車での帰り道、いつも行っているバーミヤン(ファミリーレストラン)ではなく、家の近くのバーミヤンに行こうとしたところ、いつも行っているバーミヤンを通り過ぎると車内で大パニック(車の窓をたたくなどして大暴れ、)家の近くのバーミヤンにつくと平常に戻った。小学校3年生の1学期に入る今も大パニックが怖くてバーミヤンは、はずせません。

 
 テレビやビデオを途中で止めると“パニック!”する。(小学校3年生8歳時点でも継続)

 
 2005年2月10日(健太郎;年長)

病院(上代継診療所;心理の時)の本が気に入り、“本をおちかえる!”と大パニック(泣き叫ぶ)。白黒コピーしてもらったが、納得せず、カラーコピーをしてもらって平常に戻る。


 2005年2月16日

病院(太陽こども病院)に行くとつげていなかったからか?“病院やだ〜!”と言い、駐車場から病院内にて大パニック(泣き叫ぶ)30分ぐらい静かにし納まる。


 2005年2月21日

病院(太陽こども病院)の本が気に入り“本おおちかえる!”と大パニック(泣き叫ぶ)30分ぐらい静かにし納まる。

“パニック対処法”としては、無視し、静かに父親がすること。時間(30分程度)が、たてば落ち着く。

“保育園の先生(年中)”


“やすこ先生には、大変お世話になりました!感謝!感謝!です”

“保育園の先生(年長)と、最後の日”

 
“けいこ先生には、大変お世話になりました!感謝!感謝!です”
(健太郎、Vサインが、逆である。自閉症の特徴の一つ;見たままを行動する。)














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