更新日;2015年11月5日没




◎祖父は、昭和9年生まれ
学校は、成績優秀
中学校首席だったが、親が進学させてくれなかった。
それで自分で働きながら夜学の高校大学へ苦労人。

そして社会人、中小企業でしたが、若い頃から管理職。

息子へ大学まで必ず行かせてやる!息子が小さい頃からその姿勢。
息子は、2浪で大学へ下宿もさせた。
息子は感謝!感謝!
自宅も建てた。(平成3年)



74歳位から〜
我が家の「電話番号」が言えなくなる。
(言える時もある)

我が家の「住所」も言えなくなる。

自分の「銀行の暗証番号」が、わからなくなる。

銀行の「ATM」が、使えなくなる。(暗証番号忘れ)

お金、3,450円の支払いに、500円玉2枚出して“わからないよ!”と叫ぶ。
(買い物、5,000円札、10,000円札は、出せる。)

車の「エアコン操作、わからない」、「半ドアがわからない」、
「ライトつけっぱなしでバッテリーをあげてしまう」
「駐車後、運転席側のドアガラスをあけっぱなし」

自宅で誰も入っていない(電気がついてない)トイレ、必ず、ノックする。

2010年10月(75歳)、「娘の名前の漢字」が、わからない。

「文字を書くのに苦労する(ひらがなも)」

2011年1月(76歳)、灯油。タンクに入れようとせず、直接ファンヒーターに入れようとする。
(灯油のふた、灯油タンクのふたどっちがどっちか、わからない。)

2011年1月(76歳)、朝食はパンなのに箸テーブルに並べる。

2011年1月12日(76歳)、インスタントコーヒーの入れ方わからない。
スプーン2本、コーヒーとブライトにそれぞれに入れ、ふたを裏返しにしてそこに入れて
「わからなくなちゃったよ!とおふくろに叫ぶ!」

2011年5月8日(76歳)、和風レストランにて
ざるそばをめんつゆで食べず、味噌汁で食べる。
おふくろが、注意すると、「だっておいしいんだもん!」

2011年11月8日(76歳)
電車に乗って病院へ
病院のある駅へは、行けたもののそこから道順分からなくなる。
(予約時間より1時間遅れたようだ。)

2011年11月11日(76歳)
インフルエンザの予防接種で病院へ
署名の欄があり、自分の名字、書けない。

2011年12月(77歳)
横田ホームに車で行けばいい物を歩いて行き、道路で転ぶ。
前にも同年夏、猛暑の中、どこか忘れたが、歩いて行き、脱水症状となり倒れ救急車で運ばれる。
(CT問題なし。入院なし。)

2012年1月7日(77歳)
食事でスプーンと箸の使い方正しくできない。
(カレーと豚汁)
祖母ちゃんから何度注意させてもできない。


2012年3月28日(77歳)
2Fで夕飯を食べて、食べ終わった皿を1Fの洗面所に置く。


日常会話が、難しい。
妻のチェックが、入らないとできない。
妻も言っていることが、わからない!と疲れる。


2012年4月28日(77歳)
ファミリー和食店にて
ざるそばを味噌汁に入れて食べる。次は、めんつゆではなく、醤油に付けて食べる。


2012年4月29日(日)(77歳)
コップを洗濯機の上に置く。


2012年5月7日(月)77歳
朝、5月2日の夕刊の新聞のテレビ欄を真剣に見ながら鉛筆もってチェックしている。


2012年6月29日(金)77歳
朝、ひげそり。歯ブラシでそろうとしている。



2012年10月9日(火)77歳
最近は、散歩が日課だが、
近所で倒れ近所の人に家まで送っていただいた。
(原因不明)


祖父から発する言葉が、理解できない。
“あれが、その・・・なにになる・・・(?)”
“・・・あれするし、それだから・・・”


2012年10月30日(火)77歳
祖母から洗濯物を洗濯機の上に置くように言われたのだが、ゴミ箱に入れてしまう。

下痢でパンツ・ズボンを汚してしまう。


2012年11年25日77歳
和食ファミレスに行った。
ざるそばをつゆにつけて食べない。そばをそのまま口へ。
すしを醤油につけないで食べている。
妻に注意されてもわからない。


2012年11月28日(77歳)
22日のMRI(脳)結果、
「認知症」確定
左脳に委縮がみられる。
レミニールOD錠4mg処方。(朝・夕)
(アルツハイマー型認知症の症状が進むのをおさえる薬)
薬が、効いてほしい!


たぶんこの頃、認知症確定で車の運転やめさせた。
本人もわかった顔。運転しない顔。表情。


2012年12月19日(78歳)
郵便受けに自分のスリッパ入れる。


2012年12月21日(78歳)
冷蔵庫にタオル入れる


2012年12月23日(78歳)
グー・チョキ・パーが、できない。
(妻と練習)


2013年4月18日(78歳)
徘徊の始まりか?
勝手に外の行き倒れる。
救急車で運ばれる。
自分の生年月日言えない。
自分の状態を言えない。
結局、足のレントゲンを撮って異常なし。
そのまま、自宅に帰って異常なし。

これで外へ出てわかんなくなっちゃうのが、5回目ぐらい。対応;息子


介護認定
要介護1


2013年5月21日(78歳)よりデイサービス開始
週二

2013年6月17日(78歳)
夜、徘徊。
救急車で運ばれる。
道で、うずくまっていたらいいところを通行人が、119番してくれたらしい。
自分の生年月日言えない。
自分の状態を言えない。
結局、足のレントゲンを撮って異常なし。
そのまま、自宅に帰って異常なし。

健太郎父が、病院へ迎えに行くとキョトンとした顔。


中略
介護生活は大変。


2013年10月頃から(78歳)
おむつ

一日、3〜5回おむつの交換
小便の処理;息子、大便;妻


2013年12月

介護疲れ

2013年12月4日〜12月10日
お泊りディ


中略

介護生活大変・過酷



2014年4月(79歳)
要介護3

おむつ支給制度適応

妻も要介護2


もう家庭での介護限界

2014年9月〜(79歳)
お泊りディ
週7泊
水曜の昼間だけ自宅生活



施設申込開始
(2014年9月)
3施設



2015年3月
施設追加申込
2施設


2015年4月17日
施設打合せ

4月23日特別養護老人ホーム入所



2015年5月3日
家族で面会







中略
2015年7月20日
面会


中略
2015年8月23日
面会

う〜ん、とてもいい笑顔!
とてもいい老人ホーム;顔・体きれいで清潔


中略
血圧上昇の連絡

2015年9月23日
急きょ面会;いい笑顔



2015年9月25日
老人ホーム提携病院入院
2015年9月26日
入院手続き
ドクター打合せ
延命治療しない。(遺言)
伝えるのは辛い。ドクターは治そうとする人。


2015年9月29日
病院及び老人ホーム担当者打合せ
(点滴;高カロリーしない)
病院との打合せ非常に辛い。
(積極的治療しない。生命維持はする。
これを理解するのにも時間かかる。息子。辛い。)


2015年10月9日
老人ホームドクター及び担当者みとり打合せ
(積極的治療しない。生命維持はする。)


打合せはものすごく辛い。何回も何回も何回も繰り返される。息子。

2015年10月21日
病院から老人ホームへ

2015年10月30日
老人ホームにて面会
顔見るのは辛い。点滴はしていない。手は温かい。かかとが床ずれ。早期発見手当してくれている。
顔・体、とてもきれい。
とてもいい老人ホーム施設。
家族は、笑顔の祖父の記憶でいてほしいから息子だけで面会。とてもとても辛い。


2015年11月5日AM11:30
老衰にて死亡
80歳
おとうさん今までありがとう!お疲れ様!やさしいおとうさんでした。安らかに。


























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